当サイトの万川集海を所蔵する図書館リストの中で、現代語訳とも復刻版とも巻数が異なり、長年実態が謎であった「萬川集海 上中下」に関し、直之進さまが実際に図書館に赴かれた折に調査してくださいました。
その結果、これが国立公文書館蔵の萬川集海(内閣文庫本)の縮小複製であることが明らかとなりました。
コピーを簡易製本した結果合計3冊となり、それが上中下巻とされたとのことです。
萬川集海・内閣文庫本は 1789 年に大原数馬らにより幕府に献上された写本に由来するもので、岐阜県立図書館でもこの貴重な資料を閲覧できるということが明らかになり、嬉しい限りです。
お近くにお住まいの方は是非、お運び下さいませ。
直之進さま、本当にありがとうございました!
忍びの館さまは、数少ないアクティブな忍術研究サイトの一つであられ、忍者の歴史史料集や wiki など、非常に充実したコンテンツは必見です。
また現在 TOP ページにて、忍術伝書復刻・翻刻に関するアンケートを開催されています。
三大忍術秘伝書に興味のあられる方は是非、ご参加ください!
現代語訳の陽忍篇も再び売り切れとなりました。
現在得票は 212 票となっております。
この冬、復刊に向けて新しい動きがありますように!
前の記事から日が経ちすぎて、憶えておられる方がいらっしゃるかどうか…すみません!
NHKの番組、ヒストリアの忍者特集レポになります。
番組の中盤、忍術の秘伝について少し触れられるコーナーがあり、そこに万川集海も登場しました!
番組の資料として、現代語訳も使われているようで、嬉しかったです。
最後の忍者としても良く知られる澤村家のご子孫が出演され、伝来の忍器も見ることができました。
水中松明と狼煙の筒だったと思います。
水中松明は想像より大きく、狼煙の筒は小さめでした。
(小?)シコロ、クナイ(裏側がえぐれている!)、撒菱、鳥の子(煙玉)などの忍器の紹介もありました。
鳥の子の音と煙は、中にいれる火薬の調合によりコントロールすることもできたそうです。
ここのあたりのレシピは、万川集海忍器篇に記載があるかも知れません^^
お話は伊賀にもどりまして、今度は有名な「服部半蔵」にスポットが当たります。
「半蔵」という名前は、服部家の当主が代々名乗るものらしく、服部半蔵と呼ばれた人物は一人ではありません。
しかし大抵、ただ「服部半蔵」と言った場合、「服部半蔵正成」を指します。
この服部半蔵正成というと、とにかく忍者のイメージが強いですが、実は父(服部半蔵保長)の代から家康の祖父(松平清康)に遣えており、血縁はあれども生まれからして伊賀を飛び出しておりました。
その理由として、番組では伊賀の地の「地質」をあげていました。
約400万年前、琵琶湖は今よりずっと広大で、伊賀の辺りまで広がっていました。
その頃の堆積物の名残であるという「古琵琶湖層」が伊賀の土地を裏打ちしていることにより、伊賀の土地は稲作に向かないのだそうです。
実際現地の畑を少し耕すと、ドロドロの粘土の層がすぐ出てきて、なるほどと思いました。
そのような訳で、暮らしにくいこの土地を離れ、服部家は他国に出稼ぎに出たのではないかということでした。
この土地で、忍術や製薬が発達した背景にも、このような暮らしの厳しさがあったのかもしれませんね。
半蔵(服部半蔵正成)自身は三河の生まれで、父の跡を継ぎ家康に仕えます。
家康の下で彼は立派に戦功をあげ、終には八千石どりの、徳川十六神将にも数えられる武将となります。
このような働きぶりから、彼は忍者というよりは、れっきとした武士であるとされます。
ヒストリア、再放送で漸く見ることが出来ました。
沢山メモをとりましたので、少しレポしてみたいと思います!
番組の主題は「忍者の歴史」でした。
時代を影から動かした、忍者とは・・・という導入がカッコよいです。
要所要所に殺陣のようなものが入るのですが、アクションがあって素敵でした。
以下、番組の内容によります。
慎重に書きますけれども、誤解がありましたら申し訳ございません。
伊賀は、都に程近い位置にありながらも山に四方を囲まれた、隠れ里です。
古くは寺社(おそらく東大寺)の支配を受け、主に林業を営んでいたのだそうです(東大寺文書より)。
しかし、武士の世になり、寺社の支配が緩むと、住民は独立し始め、同時に諸氏同士の小競り合いが頻発するようになります。
そのため、奇襲とそれに対する防御の術が、この地で発達したのだとされております。
現在も、伊賀や甲賀には、あちこちに土塁の跡が見られます。
空堀の内側に、掘った土を盛り上げ、その上に柵をつくることで周囲からの進入をしにくくしたようです。
木が物見櫓の役割を果たすのだとか。興味深い!
今も公園として残る福地城は、入り口(虎口)が狭く作られており、外部から攻めにくい構造になっていたとのことです。
そうして磨かれた奇襲の術を使い、忍者達が室町将軍をも退けたと言われるのが、夜に名高い「鈎(まがり)の陣」です。
応仁の乱後、幕府の力が次第に弱まっていた頃、足利将軍義尚は、近江守護の六角氏(領地横領の罪)の討伐に乗り出します。
このとき、活躍したのが甲賀・伊賀の忍者達だといいます。
この頃の甲賀は、六角氏の支配を受ける代わりに、当時日本全国でも稀に見る自治を認められ、甲賀郡中惣内では、民主主義的な多数決制による合議も行われていたそうです(大原氏の記録による(大原長次とか!大原氏ですね!))。
自治を認める代わり、六角氏がピンチに陥った場合、それを手助けするというのが甲賀と六角氏の間に交わされた約束でした。
甲賀・伊賀の忍者は協力して、将軍直属の軍勢を山岳ゲリラ戦術で翻弄し、またその本陣の鈎の宿へ二度にわたる夜襲をかけます。
ついには義尚は陣中で病死し、幕府軍は引かざるをえない事態に追い込まれました。
伊賀・甲賀の名も無き土民が将軍を追い返したこの「鈎の陣」により、伊賀・甲賀の忍者の名は全国的に轟くようになったといいます。
(番組中では、忍者達は夜襲において義尚軍の陣深くもぐりこみ、将軍に手傷を負わせたという記録もあるとしておりました。)
そして、幕府は再度の討伐も失敗し、その権威はますます失墜することとなります。
・・・ちょこちょこ調べながら書いていたら、思ったより長くなりそうです。
忍者の歴史、と申しますとどうしてもそうなるのかもしれませんが、どちらかというと伊賀を中心にお話が進んでいる気がします。
つづきます!
突っ込み、お叱り、大歓迎です!
ご無沙汰しております!
また忍者番組のお知らせを致します。
もしかしたら、既に本放送の方でご覧になった方も多いと思われます。
NHK総合の歴史秘話ヒストリア 「謎の忍者軍団 知られざる“忍びの里”物語」
皆様の感想を拝見しても、かなり面白そうな内容です・・・!
本放送は先日終了し、私はその時どうしても抜けられない用事があって涙を飲んだのですが、再放送が、ございます!
せめてこちらだけでも予告させて頂きたいと思います!
チャンネル | :BS2 |
放送日 | :2009年 5月 6日(水) |
放送時間 | :午前8:15~午前9:00(45分) |
チャンネル |
:総合/デジタル総合 |
放送日 | :2009年 5月 6日(水) |
放送時間 | :翌日午前3:08~翌日午前3:52(44分) |
本放送に先んじてブログが書けなくて、とても残念でした・・・。
でも、こちらはどちらか、必ず観たいと思います!
明日19日のお昼12:20から。
NHK総合テレビにて、「生中継 ふるさと一番!「忍者で町もサバイバル~長野県長野市戸隠地区~」」が、放送されるそうです!
皆様も宜しかったら是非に!
以下、番組内容のコピペになります。
“現代戸隠忍者”ここにあり! ~長野市 戸隠地区~修験道の大霊場として知られる戸隠地区。
ここに800年の歴史を誇るという「戸隠忍法」が伝わる。敵から情報を探りだす「諜報技術」であり、追手から逃れる為の「武道」でもある戸隠忍法。今、その忍法を活用して町の活性化に繋げようという取組みが始まっている。土産物店やそば屋を営む傍ら、忍術を修行し、様々なイベントで演武を披露する現代の忍者たち。そして忍者屋敷の伝説や、皆で出し合った知恵をもとに作られたからくり屋敷・・・
中継では、知られざる「戸隠忍法」の技の数々を紹介し、地域に眠る伝統を掘り起こす事で地域を盛り上げようと奮闘する“現代の戸隠忍者たち”の熱き姿を伝える。
なんて素敵!
オフ友のかもしかさん、情報提供ありがとうございました!