前の記事から日が経ちすぎて、憶えておられる方がいらっしゃるかどうか…すみません!
NHKの番組、ヒストリアの忍者特集レポになります。
番組の中盤、忍術の秘伝について少し触れられるコーナーがあり、そこに万川集海も登場しました!
番組の資料として、現代語訳も使われているようで、嬉しかったです。
最後の忍者としても良く知られる澤村家のご子孫が出演され、伝来の忍器も見ることができました。
水中松明と狼煙の筒だったと思います。
水中松明は想像より大きく、狼煙の筒は小さめでした。
(小?)シコロ、クナイ(裏側がえぐれている!)、撒菱、鳥の子(煙玉)などの忍器の紹介もありました。
鳥の子の音と煙は、中にいれる火薬の調合によりコントロールすることもできたそうです。
ここのあたりのレシピは、万川集海忍器篇に記載があるかも知れません^^
お話は伊賀にもどりまして、今度は有名な「服部半蔵」にスポットが当たります。
「半蔵」という名前は、服部家の当主が代々名乗るものらしく、服部半蔵と呼ばれた人物は一人ではありません。
しかし大抵、ただ「服部半蔵」と言った場合、「服部半蔵正成」を指します。
この服部半蔵正成というと、とにかく忍者のイメージが強いですが、実は父(服部半蔵保長)の代から家康の祖父(松平清康)に遣えており、血縁はあれども生まれからして伊賀を飛び出しておりました。
その理由として、番組では伊賀の地の「地質」をあげていました。
約400万年前、琵琶湖は今よりずっと広大で、伊賀の辺りまで広がっていました。
その頃の堆積物の名残であるという「古琵琶湖層」が伊賀の土地を裏打ちしていることにより、伊賀の土地は稲作に向かないのだそうです。
実際現地の畑を少し耕すと、ドロドロの粘土の層がすぐ出てきて、なるほどと思いました。
そのような訳で、暮らしにくいこの土地を離れ、服部家は他国に出稼ぎに出たのではないかということでした。
この土地で、忍術や製薬が発達した背景にも、このような暮らしの厳しさがあったのかもしれませんね。
半蔵(服部半蔵正成)自身は三河の生まれで、父の跡を継ぎ家康に仕えます。
家康の下で彼は立派に戦功をあげ、終には八千石どりの、徳川十六神将にも数えられる武将となります。
このような働きぶりから、彼は忍者というよりは、れっきとした武士であるとされます。
…また長くなってしまいましたので、一旦切らせて頂きたいと思います。
次はいよいよ、天正伊賀の乱のお話になります。